ながおかネット・ミュージアム
 
所蔵No: 301
タイトル: 上杉景勝書状
書: 上杉景勝
サイズ: 27.3cm×38.6cm
【釈文】
度々雖申届、路次不自由由候故、不相達□□□、
□之儀、日延無心元可有之候、度々如申、諸人□
中何も在城、走廻候□、巨細者堅固候、可心安候、
扨亦、朔十一御館へ相動候処、取出候間、即及一戦砌、
十郎方・平賀左京亮、一騎合之者共数百討取、
之外、又者□之為名字者三百余□□□候、討殺
者不知数候、今十二ニも雖相動候、一騎一人不取□、
兎角見詰候者、近日中ニ可討置候、次其方
□堅固防戦尤候、目出□□
□□□□謹言、
  尚々、千坂対馬所へ
□申度候得共、
□次不自由ニ候
□候者、相心得尤候、以上、
    (天正六年)
    六月十二日  景勝(花押)
       菅名孫四郎殿
       堀江甚五左衛門殿
       田中式部殿
       嵯峨野修理亮殿
解説: 天正6年(1578)3月、上杉謙信が後継者を決めないまま亡くなりました。養子の景勝と景虎とのあいだに戦乱が起こります。景虎が、御館(上越市)を拠点としたことから、この戦乱を「御館の乱」といいます。両軍の衝突が初めて確認されるのが5月5日で、6月11日から13日には景勝方が御館を攻撃しました。本資料は、6月11日の戦いの結果を菅名孫四郎らに伝えたものです。景虎方の有力者である上杉景信軍をはじめ、大勢の兵を討ち取ったことを記しています。なお、上杉景信はかつて長岡市域を治めた古志長尾氏の出身で、配下には古志衆と呼ばれた武士たちを従えていました。また、本資料は、金津保(新潟市秋葉区)を拠点とした平賀氏が景虎方であったことを示す数少ない資料です。
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