先ニ水車ニ居、定兵衛之弟
より聞ニ、家中之渡米壱万
俵位と、高ニ比れハ、家来多様思
様子也、其外價(タクワイ)米・済米之
倉之咄抔いたし、以前とくら
ふれハ雲泥之違と、山田先生
之事物ニ達スるを感心して
咄、此物ハ質朴なる者ニて、
無虚色、実咄故記置、今日ハ
隙故、此頃三四日之記行ヲ
留、且、覚し事を他日之ため
記置、万事松山ハ小暮し之様
被思、夫故、別して易為あらんか、
松山を出る川の端ニ、價米・済米蔵
有之、見入之好物なり、玉島ハ家数
千間と云、公領新丁と云所、
至善、其次松山領、丹渡(波)
亀山領一番悪敷所かと
思る、多コトハ松山領之由、
町之中ニ羽黒山之社アリ、 |