古代

●長岡市略年表(古代)

年代 記事
旧石器時代 (2万年前)五荘山・長峰団地西・大沢遺跡に石器が残される
縄文時代 草創期 上の沢・藤橋蛇新田・雉子打場遺跡に石器が残される
早期 (9000年前)七軒町遺跡が営まれ、竪穴住居がつくられる
前期 (6000年前)金倉遺跡などが営まれる
中期 (5000年前)馬高遺跡や岩野原遺跡に大規模なムラが現れ、火焔型土器が流行する
後期 (4000年前)三十稲場遺跡が営まれ、三十稲場式土器様式が隆盛となる
晩期 (3000年前)東北地方を中心とする亀ヶ岡文化の影響を受けて、藤橋遺跡が営まれる
弥生時代 前期 (B.C.3世紀)北九州に弥生文化が成立し、米づくりが広がる
中期 (B.C.1世紀)尾立遺跡が営まれる
後期 (3世紀)横山遺跡に環濠集落が現れる
古墳時代 前半期 (4世紀)麻生田古墳群がつくられる
後半期 (7世紀)大萱場古墳がつくられる
持統3〜6
(689〜692)
この間に越国が三つに分かれ、越後国ができる
大宝2(702) 越中国4郡(頚城・古志・魚沼・蒲原)を越後国に編入する
慶雲2(705) 威奈真人大村が越後城司となる
宝亀9(778) 西大寺領の荘園に古志群三枝荘がある
弘仁9(818) 酒人内親王が古志郡の田地200町を東大寺に寄付し、土井荘が成立する
延長5(927) 延喜式が撰修され、古志郡の神社として、三宅神社・桐原石部神社・都野神社・小丹神社・宇奈具志神社がみえる
元永元〜保安2
(1118〜1121)
このころ、摂関家領に大島荘がある
永治2(1142) 東大寺領の古志郡土井荘と頚城郡石井荘を、沼垂郡加地郷内の地と交換して豊田荘が成立する
保元元(1156) 藤原忠通の書状案に紙屋荘がみえる
安元2(1176) 「八条院領目録」に古志郡白鳥荘がみえる
文治2(1186) 「吾妻鏡」に古志郡の荘園として、大島荘・白鳥荘・吉川荘・紙屋荘・志度野岐荘がみえる