近世

●長岡市略年表(近世)

年代 記事
元和4(1618) 堀直竒が越後本庄(村上)へ転封され、牧野忠成が長岡に移り、長岡藩初代藩主となり6万2000石を領知する
6(1620) 牧野忠成が栃尾郷1万石を加増され、知行高7万2000余となる
7(1621) 藩が藩士の屋敷割りを定める
寛永元(1624) 高田藩主松平忠昌が越前福井に移され、松平光長が福井から高田に入る
2(1625) 牧野忠成が新開地2000石余を認められ、7万4000石の知行高が確定する
蔵王権現社別当安禅寺が、江戸上野の東叡山寛永寺の末寺となる
11(1634) 牧野忠成が与板1万石を二男武成に、三根山6000石を四男定成に分与し、与板組を本与板組と改める
16(1639) 渡し守宅兵衛が、渡里町から本大島に移ったという
19(1642) 長岡町船道が長岡河岸を船継ぎ河岸として幕府の公許を得る
正保4(1647) 親沢村が高田領より長岡領へ領知替えされる
慶安元(1648) 幕府が蔵王権現社領として朱印地高300石を寄付する
3(1650) 藩が家中の軍役を定める
4(1651) 福島江が完成したという
承応2(1653) 西福寺の町政事務所を廃し、町役人の家の持ち回りとする
明暦元(1655) 牧野忠盛が将軍徳川家綱の裁定で、家督相続を認められ第2代藩主となり、忠成と称する
3(1657) 藩が「郷中掟」を制定する
藩が「軍令」を発して、軍備・軍役負担を定める
寛文2(1662) 上組・下組のうち信濃川以西の村を川西組に編成する
船会所を普請して、町会所をおく
3(1663) 長岡船会所船道法度が定められる
「免定帳」を作成、独自の年貢収納制度を確立する
藩が新高2万6043石の届出をする(古新田という)
延宝2(1674) 牧野忠辰が第3代長岡藩主となる
「諸士法制」を制定、藩が初めて家中に倹約令を出す
5(1677) 「長岡町守書」と「覚」28か条、「郷中守書」、「駅場条目」を制定する
藩が旅人の宿を渡里町に限り、ここに旅籠屋を集中させる
7(1679) 林家門人小出良達が長岡藩の儒臣となり、藩の儒学の基礎を築く
8(1680) 「御軍法御備立」を定める
天和元(1681) 高田城二之丸受取りを行う
貞享2(1685) 関原・雲出・西宮本・東宮本・東方・大積などの村々が、高田の新藩主稲葉氏領となる
3(1686) 藩蝋座、山里漆木の伐採を禁じ、房蝋・山蝋実の自由な売買を禁じ、貢納制を定める
5(1688) 藩が松・杉・槻(欅)・桐を四木と定め、植栽を奨励する
元禄7(1694) 弥彦神社境内に五所宮を建立し、牧野秀成らを祭る
13(1700) 長岡船道の河渡高札場が渡里町から上柳河渡へ移され、翌年さらに草生津河渡へ移される
14(1701) 大積村、佐倉藩領(稲葉氏)となる
元禄15(1702) 与板藩主牧野康重が小諸へ移封となる
16(1703) 上組の内、種苧原・虫亀・蓬平など二十村郷と三島郡灰下村が幕領となり、北組・上組で村替えが行われる
宝永4(1707) 藩が積雪が往来の妨げとなるため、道奉行に取締りを命じる
正徳元(1711) 町年寄を検断と改称、検断・町老・町代の町方三役制始まる
2(1712) 藩が初めて全額に御用金を課す
5(1715) 蔵王権現社、蔵屋敷の跡地(現金峰神社の地)に移築整備される
享保元(1716) 長岡町の問屋株19軒、問屋類(類問屋)42軒となる
2(1717) 藩、長岡町に500両、有力町人に1000両の御用金を命じる
3(1718) 藩、「御潤色諸色法制」を発し、「諸士法制」を修補する
表一ノ町に町会所を建てる
5(1720) 大庄屋が割元と改称される
7(1722) 藩が猿橋・上除・妙見・川袋・吉津・市谷・高見の七か所に津留番所を設ける
9(1724) 藩が頚城・三島・刈羽・古志・魚沼郡のうち6万4000石を預かる
12(1727) 藩が長岡町に入荷する商品21品目に入役銀をかけ、入役番所を設ける
13(1728) 長岡町大火(三蔵火事)で幕府から7000両を借用、家中から知行高の半分を借り上げる
15(1730) 藩御用木の勝手な伐採を禁じる
16(1731) 大川の左近の土手が大雨で破れ洪水、城内に浸水する
18(1733) 京都の吉田家から前藩主忠辰に蒼紫明神の神号が贈られる
元文元(1736) 藩が町民への衣食住倹約令を出す
2(1737) 藩が三都の豪商から借財し、家中への借り上げを命じる
3(1738) 大洪水、大飢きん、領内損毛高4万3000石余
5(1740) 表町通りに雁木かけが命じられる
寛保2(1742) 洪水で領内損毛高5万6920石余、幕府から復興のため金7000両を借用
延享2(1745) 積雪1丈4尺8寸、町奉行所から困窮した町民に救助米を支給する
3(1746) 藩が領内外から借金の元利返済を凍結する
寛延元(1748) 左近の大土手竣工
宝暦3(1753) 山本老迂斎、「牧野家譜」編修
4(1754) 宝暦の飢きん(〜宝暦6)、西組・本与板組の農民が藩の救済を求める
長岡城本丸(三蔵火事で焼失)を再築
5(1755) 長岡船道、難船等諸費用の増加により手当金支給を求める
山本老迂斎、家塾「書堂」を造り、藩士の教育に当たる
長岡船道が難船時の弁償規定を定める
高山村向島新田の開発がはじまる
7(1757) 町口門に訴状箱を設け、藩財政の改善意見を求める
8(1758) 表四ノ町に町会所新築(明治まで続く)
10(1760) 頚城郡・古志郡・魚沼郡・蒲原郡・刈羽郡の計5万石の領地を高田藩に引き渡す
蓬平村・濁沢村・長岡藩預り所となる(宝暦13年幕領にもどる)
この年、高野余慶「由旧録」を著す
明和元(1764) 藩が郷中の商い物の禁止を命じる
3(1766) 牧野忠精家督相続、第9代藩主となる
4(1767) 飯塚江を用いる長岡領39か村、十楽寺江を用いる淀領6か村と用水の配分をめぐって争う
5(1768) 新潟町で打こわし起こり、長岡町会所門前に打こわしの落し文あり
7(1770) 飯塚堰と十楽寺堰の争いを幕府が裁決
8(1771) 忠辰に大明神の神号が贈進され、蒼紫大明神と称される
安永4(1775) 藩が在方商業禁止令を緩和し、在方から店役銀を取り立てることにする
天明元(1781) 大雨で左近土手が破堤し、城下に浸水、城内の水深9尺余、死者、家の流失多く、領内損毛6万5000石余
悠久山に蒼紫大明神社殿(悠久山御社)を建立し、城内から牧野忠辰の霊を移す
3(1783) 凶作、天明の大飢きん(〜天明4年)
天明5(1785) 星野太郎右衛門が田中家から鋳物師職を譲り受ける
6(1786) 大積村が幕領になり、雲出村は与板領となる
寛政元(1789) 三島郡下除・王番田・上河根川村と古志郡南新保村・福道村が長岡領から幕領に替わる
洪水で城内浸水深さ8尺余、郷中流家・潰家585戸、溺死4人、損毛高6万6800石余
淀領の浦村など8か村が長岡領となる
3(1791) 浦村など8か村の村役人が郡奉行所へ年貢の減免などを求めて強訴(権左衛門騒動)
藩が3か年の間に在方商いを廃業するように命じ、在方の商人と商品を調査する
京都の伊藤仁斎の古義堂に、長岡藩士2名が初めて入門する
4(1772) 浦村の権左衛門を打首・獄門にし、多くの村役人を処罰する、8か村に年貢の優遇措置を認める
6(1794) 長岡町惣代が在方商業の停止を町奉行所に訴え出る
8(1796) 高野余慶が「昇平夜話」を著す
11(1799) 星野太郎左衛門(2代目)が京都の公家真継家から古志郡の大工職許状を与えられる
享和元(1801) 第9代藩主牧野忠精が老中に就任
3(1803) 長岡町人が町続きの草生津村と山田町などの商業活動の統制を願い出る
文化元(1804) 木喰上人、白鳥村の宝生寺と上前島で、観音像と自刻像を完成させる
藩が北・西・上組に村々の商業停止と農業への復帰を命じる
4(1807) このころ大田正儀が数学書「算額象形類五十問」を本多利明とともに発刊
5(1808) 藩校崇徳館創立される
6(1809) 千手町村の大和屋が藩の贈答用菓子の御用達を命ぜられる
7(1810) 幕府が高田・長岡・新発田の3藩に、1年交代の佐渡警備命じる
11(1814) この年、十返舎一九長岡に来遊する
12(1815) 藩校崇徳館の都講に、古学派(徂徠学)の秋山景山が任命される
蓬平・濁沢・福道・南新保村が幕領から白河藩預りとなる(文政6年、桑名藩預りとなる)
灰下村が与板藩領から幕領に替わる
文化13(1816) 10月 牧野忠精老中を辞任
文政元(1818) 大積・宮本・下除・王番田が長岡領から出羽国上山領となる
灰下村が幕領から上山領になる
3(1820) 三潟の悪水抜き工事完成する
10(1827) 幕府が長岡藩に三潟と17新田の上知を命じる
11(1828) 信濃川の下流域一帯に大地震が発生(三条地震)
天保元(1830) 江戸幕府の上屋敷に、江戸幕府の子弟教育の就正館設けられる
栃尾組の農民約1300人が家中の炭買い上げ値段の引き上げを求め、永田村まで押し出す(炭一揆)
藩が天保の改革を開始家中の棒禄・領内の豪農商への扶持米借り上げ、国元と江戸の倹約、御用金の賦課など五か年計画を立てる
長岡城修理費と藩主忠精の老中再任のため、領内に2万5000両の御用金・調達金を命じる
天保2(1831) 牧野忠精が老中を辞任、同月牧野忠雅家督を相続し、第10代長岡藩主に就任
町口門に訴状箱を設け、藩財政再建の意見を求める
五か組の割元、郷中の困窮救済のため、要望書を提出する
藩が借財の元利返済を一時凍結する
3(1832) 在方の新規茶屋営業と酒商いが禁止される
藩医新川順庵・小山良岱が藩命により腑分け(解剖)を行う
4(1833) 洪水と冷害で大凶作
5(1834) 藩が窮民に救米を支給
町会所で救い粥の炊出し
6(1835) 貞心尼が「蓮の露」を完成させる
7(1836) 朱子学派の高野松陰、秋山景山に代わり崇徳館都講となる
長雨で大凶作、長岡城下に困窮者が入り込み、冬には行き倒れや死者も出る
新潟町の若狭屋・北国屋等の抜荷事件(天保6年)が発覚する
8(1837) 城下への流民1000人に上る
中島と大工町に小屋を建てて流民を収容、町民の負担で粥を支給する
西新町長福寺に「餓死万霊塔」建立される
11(1840) 幕府が長岡藩の川越転封など三方領知替えを命じる
新潟町回船問屋らの抜荷事件摘発される
12(1841) 長岡船道と蔵王側の、天保9年以来の紛争に幕府評定所で判決下り、和解決着する
幕府が三方領知替えを中止する
この年までの新田開発地を新田という
13(1842) 藩が千手町村・四郎丸村と街道筋の村に、5年間の期限つきで取り扱い商品数を大幅に許可する
14(1843) 天保11年の抜荷事件関係者に対する幕府の処罰行われる
幕府が長岡藩に新潟町の上知を命じる
10代藩主牧野忠雅が老中に就任
弘化元(1844) 幕府の指示により、藩が新潟の五十嵐浜、越前浜などの警備人数を増加する
藩が城外で軍事訓練を始める
長岡町大火で城下町のほとんどを焼失(俊治火事)
2(1845) 藩主忠雅が幕府老中兼海防掛に任じられる
藩が千手・宮原・新町・新保村に商業を許し、町方に役銀を年20両納入するように命じる
木曽恵禅が長永寺に囂外黌を開き、宗学と漢学を授ける
3(1846) 村松村割元格六右衛門が藩命を受けて村内に約3万本余の杉木を植える
4(1847) 宮路村が鎮守の御手洗い地を用水溜とする工事を行う
嘉永22(1849) 藩が借財23万両の解消のため、町・郷中に前例のない8万両の御用金を命じる
東・西大新江の開削が始まる
3(1850) 藩が諸組新田取調掛を設けて、新田開発を奨励
藩が結城機(高機)を許可し、運上を徴収する
小林虎三郎が佐久間象山の門に入り、蘭学と砲術を学ぶ
5(1852) 藩が4万両を水原町と各地の豪商・豪農21人から借用する
大坂の緒方洪庵の適々斎塾に、藩医小山良運が入塾
6(1853) 栃尾郷の打こわし起こる
藩が済世館を設立し、医学教育を行う
安政元(1854) 小林虎三郎が下田開港に反対し、神奈川開港を老中牧野忠雅に進言し、帰藩・謹慎を命じられる
2(1855) 領内第一の富豪蒲原郡吉田村の今井孫兵衛を藩の勝手本方、勘定所御金取扱に任じる
藩が勘定所の機構を改革
3(1856) 飯島文常が絵巻物「雪之図」2巻を描く
4(1857) 渡里町裏の内川左岸から大川に至る新川の開削を終わる
牧野忠恭が家督を相続、第11代長岡藩主となる
5(1858) 小林虎三郎が「興学私議」を著わす(翌年まで)
文久2(1862) 藩領の内、蒲原郡3000石が上知となり、刈羽郡3316石を代知として与えられる
刈羽郡の内19課村が長岡領とされ、これを苅羽組とする
3(1863) 藩が佐渡警備のため藩兵230人を新潟に駐屯させる
牧野忠恭が老中に就任
藩が織機扱所を設置し、領内の結城機(高機)の統制をはかる
藩主忠恭が外国事務取扱となる
元治元(1864) 表一ノ町の紅屋が藩の菓子御用達となる
慶応元(1865) 河井継之助が外様吟味役から郡奉行に任じられる
2(1866) 藩主忠恭が第二次長州征討に出兵を命じられ、大坂に向け藩兵を率いて江戸を出発
長岡蝋座跡地に寄場を設ける
3(1867) 牧野忠訓が家督を相続し、第12代藩主となる
河井継之助が家老職に任命される
崇徳館の寄宿舎造士寮が設立される
河井継之助が藩主の名代として上京、京都御所へ建言書を提出
藩が長岡船道を廃止する
この年までの新田を新々田という
慶応4(1868) 鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争始まる)が起きる
崇徳館の教授たちが、新政府軍への恭順の意見書を藩に提出する
藩士を総登城させ、禄高改正と兵制改革を発表
新政府軍が越後11藩の重臣を高田に集め、王政復古の大号令を伝え、長岡藩正使植田十兵衛に出兵を命じる
河井継之助軍事総督となる
藩兵出兵し、摂田屋村光福寺に本陣をおく
河井が小千谷の慈願寺で新政府軍の岩村軍艦らと会見、会談決裂同盟軍が新政府軍を激退、榎峠を占領する
長州藩兵と薩摩藩兵が城下に侵入し、長岡城が落城する
城下の家中屋敷・足軽屋敷・町家等合計2511軒が焼ける
柏崎民政局が設置される
稲垣平助ら新政府軍参謀に主家再興の願書を提出
長岡民政局が開かれる長岡藩兵が八町沖を渡河して長岡城を取り返す
新政府軍の総攻撃で長岡城が再度落城し、藩兵とその家族八十里超から会津へ落ちる