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小林虎三郎 求志洞遺稿について 凡例 このサイトの見方
求志洞遺稿について
 「学は東西を併す 志何ぞ挫けん」と、病翁小林虎三郎は安政元年(1854)の春、師佐久間象山の意向をうけて幕府の下田開港に反対し、神奈川(横浜)開港を主張して容れられず、10代藩主忠雅から謹慎を命じられ、江戸から長岡に帰藩するに際して、象山との別離の思いを詩った。
 そこには、「学は東西を併せ、術は文武を兼ねることがその志向するところである」とした象山の意向を受け継いで、東西の学問に励み、人々にも教えようとした虎三郎の強い決意が滲み出ている。それから12年後の 慶応2年(1866)に、虎三郎は、「10年病いに臥(ふ)しても、憂国の熱情はなお衰えない。けれども、表立った活動や栄達は望まない」として、「隠居志を求め、且(しばら)く時に随う」と詠じている。その「求志」の筆は、居宅を「求志洞(きゅうしどう)」と名付けた長町の家で進められた。安政6年(1859)の春には、「病(やまい)を力(つと)めて草を求志洞に属す」として、「興学私議」の稿を書き上げた。「興学私議」は、明治3年(1870)6月15日、国漢学校の開校として具現した、虎三郎の教育論である(『長岡市史』通史編 上巻 近世 第4章第1節第4項『興学私議』と小林虎三郎 参照)。
 「隠憂(いんゆう)の賦(ふ)」にはじまり、「興学私議」や「重学訓蒙(じゅうがくきんもう)の序」などの、虎三郎が書いた短い文章と、漢詩をおさめた詩文集が、その居宅の名にちなんで名付けられた「求志洞遺稿」である。
 明治4年(1871)8月、病翁と改名して東京に出た虎三郎は、弟雄七郎のいた土佐に旅をし、翌5年5月、東京に帰って神田に住み、後に向島に居を移した。虎三郎の東京での居宅は「求志樓(きゅうしろう)」と呼んだ。明治6年(1873)4月に、東京で『小学国史』12巻を刊行したが、その表紙には「病翁小林 編輯 小学国史 求志樓蔵梓((し))」とある。また、翌明治7年7月に刊行した『飜刊(ほんかん) 徳国(とくこく)学校論略』の序にも、「越後 病翁 小林 虎、東京居る所の求志樓に撰す」とあり、自著の執筆、版元の場所の名称として求志洞・求志樓の名称を用いていた。山本有三は、昭和18年(1943)に刊行された自作の戯曲『米・百俵』のそえがきに、虎三郎の真筆といわれる「求志洞存笥稿(そんしこう)」という原稿が残っているということを記し、当時長岡市教育会が所蔵していたとするその一部を写真版で掲げている。その「詩」の部のはじめの箇所には、嘉永5年(1852)作の「壬子(じんし)の元旦」と題する詩があることを紹介している。
    「壬子の元旦
    行年二十五 志業尚ほ成り難し 今日屠蘇(とそ)の酒 赧然(かんぜん)として傾くるに耐へず」(原漢詩)。 ここにもまた、虎三郎が象山の門に入った翌年の25歳の青年期から、常に「志を求め」ていたことをうかがわせる。そして、虎三郎自身もこの詩を冒頭に掲げた「求志洞存司稿」の刊行を想定していたのではなかろうか。虎三郎が没して17年後の明治26年(1893)8月、外甥の小金井権三郎・良精の兄弟がその17回忌に当たり、虎三郎の詩文を蒐集、編修して翌年4月に、『求志洞遺稿』として出版した。もし、そのような推論が適合するものであったとすれば、まさに、虎三郎の「求志」を実現させたものといえよう。「求志」の語は、論語の季氏第16にみえる、「隠居して以て其の志を求め、義を行いて以て其の道を達す」ということばを出典としている。「隠れて野に在る時は、他日其の志す所の道を行う場を求め、世の中と絶縁してはならない。自らの向上を常に図って行くことはそれがそのまま世の中を向上させることにつながるものだ」という意味である。安政元年以来、明治10年(1877)に没するまで、長岡、東京での23年間に及ぶ虎三郎の後半生は、まさにその宿痾(しゅくあ)(持病)の身を養いながらの「求志」の連続であったといえるのである。
 虎三郎の弟、寛六郎は明治10年の西南戦争で重傷を負い、明治13年(1880)9月に病死した。さらに、虎三郎が生前に最も頼りにし、その最期を看取った弟雄七郎(大蔵省出仕・第一回衆議院議員選拳に当選・長岡社を創設)も明治24年(1891)4月に没した。妹の幸(ゆき)は旧長岡藩士小金井儀兵衛良達に嫁し、長男権三郎(第4回衆議院議員選挙に当選)・二男良精(解剖学者、人類学者で東大教授・夫人は森鴎外の妹の喜美子)をもうけた。虎三郎の薫陶と教化を受けた権三郎・良精の兄弟は、雄七郎の没後間もなく、伯舅(はくきゅう)(母の兄)虎三郎の志が世に明らかにならず、その詩文は筐底に埋没して未だ世にあらわれないことを悲しみ、慨嘆し、遺稿を校訂、編修して刊行したのである。
 『求志洞遺稿 完』は、和本装丁で、文は乾(けん) 上・下におさめ、詩は坤(こん) 全におさめた。文 乾上は、隠憂の賦、興学私議以下22篇の文から成っている。蘭書を訳述した文の序として、「重学訓蒙の序・後序」・「察地小言(さつちしょうげん)の序・後序」・「泰西兵餉一斑(たいせいへいしょういっぱん)の序」・「野戦要務通則一斑の序」などを収載している。「重学訓蒙」は、力学初歩ともいえる物理書である。「察地小言」は、用兵のために地勢を調べる方法を説いた書で、ほかの二書は何れもオランダの砲隊長の著わした「従軍必携」の摘訳と抄訳である。文 乾下は、馬基頓(マセドニー(マケドニア))の二英王の伝、柳子健に与うる第1書・第2書、田中脩道に与うる書以下42篇の文から成っている。ここには、「小学国史の序」や、「飜刊徳国学校論略の序」などの虎三郎の歴史観、学校教育論をうかがわせる文がある。『小学国史』は、明治6年(1873)に虎三郎が従来の漢文で書かれた国史の叙述に対して、読み易く、わかり易いように国文で書いた国史の入門書である。しかも、学問的にもかなり程度の高い内容を盛り込んでおり、その史眼の明敏さも注目される。翌明治7年に訳述した『飜刊 徳国学校論略』では、プロシア=ドイツの学校制度を中心としてオランダ、フランスなどヨーロッパ各国の学制を紹介し、いわば、現代の総合大学のような制度を彼の目指す理想的な学校教育のビジョンとして説明している。そのような近代的な学制をまず整え、ひろく国民教育の制度を立てて行くことが、「強民強国之基礎」である、と考えていた虎三郎の先見がうかがえる。乾には計64篇の文が収録されている。故今泉省三氏は、文の内容を種別にして、「賦が1、議が1、序が14、記が6、説3、伝1、書8、題4、跋8、銘が3、賛が2、後序2、墓表2、呈与が9首ある」としている(『長岡の歴史』第6巻189ページ)。坤 全の詩は、「乾堂(北澤正誠、「求志洞遺稿の序」の筆者)曰はく、先生の本領窺うべし」という評を付した「書懐」(懐いを書す)という五言絶句以下、絶句、律詩など、あわせて165篇の詩をのせている。
 虎三郎と象山門下で同門の旧友として、蘭学・西洋兵術に通じていた旧幕臣の勝 海舟は巻頭に題詞を寄せている。明治3年の「大参藩事を拝して後の作」とした虎三郎の詩にちなんだ、「懐抱(かいほう)秋水清(きよ)し」の五言詩である。
 巻首の序文は、同じく象山の門で交遊のあった乾堂北澤正誠が撰した。それには、「余嘗て謂(おも)へらく、君は明體達用の学を講じ、諸(これ)を一藩に施す。必ずしも文詩を待って世に伝わらず」という辞がみえる。「明體達用」とは、事物の本体を明らかにして、そのはたらきを十分に遂げることで、象山が目標とした「学術一致」の思想を端的に表現することばである(後掲の小林安治氏論稿「興学私議の精神と明体達用の学」参照)。この序文のあとには、三間正弘の書簡をはさんで、「小林炳文に贈る」とした、安政元年春の虎三郎帰郷に際しての、象山の贈序1篇の草稿を石版刷りでおさめている。その末尾には、「北澤子進は斯学に志あり。吾甚だ之を愛す。」とある。子進は北澤正誠の字(あざな)で、虎三郎宛の文の草稿に象山がそえ書きをして正誠に与えたものである。象山と虎三郎・正誠3人の親密な師弟関係と、友人関係を具体的にうかがわせる資料である。
 虎三郎と同郷の人士を代表する文として、先祖以来互いに交誼のあった三間正弘が刊行に際して寄せた書簡を正誠の序文の次におさめている。その文中では、「学問の該博なる、洋の東西を兼ね、又識見の卓越なる、時勢洞察の先見は世人の敬服する所」と記し、虎三郎の先見と、その洞察力とをたたえている。三間正弘は、旧長岡藩士で、もと市之進と称し、戊辰戦争に際しては、いわゆる佐幕主戦派急先鋒の一統の1人であったとされ、軍事掛(がかり)を務めている。戦後、新政府から罰せられたが、明治3年に赦免されて新政府に出仕し、憲兵司令官などを務め、当時は石川県知事であった。
 『求志洞遺稿』を編修した小金井権三郎自身も題詩、序文の最後に、「小林寒翠翁略傅」として、虎三郎の略伝と、あわせて「遺稿」刊行の趣意を掲げた。これは、虎三郎の伝記としては最初のものであり、外甥としての立場からの記述であることから、内容的にもかなり信頼できる伝記であるといえよう。

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