安政戌(戊)午十二月廿七日、長岡を
出、己未正月六日、江戸着、同十五日
久敬舎入塾、六月四日、退塾、
同七日、武氏を立、花・三・鵜之三子、
横浜之交易見物なから被送、
品川ニ、二艘之異船アリ、何れも
城のこときありさま、一艘の船
炮発九、きみ好事也、川崎ニて
昼飯を食、神奈川八ツ頃到り、
船ニ乗り横浜行、新に
出来シ家ニて、色々占(店)を広げ、
中ニも目立ハ塗物占、其結構
都会ニもなき処なり、未普請
も不出来揚、銀銭之価も不定
故、交易も墓々敷からす、出来
揚リニ成ならハ、嘸哉流(立)派ニ可相成、
海港之様子、神奈川迄之往来、
新道相出来、実々公儀之勢
ニあらされハ不成事な■■、 |