なる様覚、所謂塩見坂、遠州
洋を見る、吉田を過、豊橋
ヲ渡り、城ハ川ニ添へ、橋長大にして
美、浜松より吉田、好所なると
思わる
聞処咄故、
今切り渡りニて江戸ノ焚炭屋ニ逢、
熊野より出る処、最(モットモ)善と云、
先ニ記し置、又留置
十八日 晴 ○池鯉
朝、両人ニて立、三川ノ一之
男川之橋を渡り、岡崎ヲ
通り、此ニ彼士ハ弱りて遅る、
矢(ハギ)ヲ渡る、可惜、大橋大概
落て未普請も不出来、
舟渡りなり、橋ハ公儀普請
之由、嘗思、神君業ヲ
創むる之、三河を離給ふハ故
あらんと、其地ヲ蹈て其勢
ヲ見るニ、岡崎より浜松ニ移り、
終ニ駿府ニ居り給ふハ、駿遠
参何れも能開けゝれ共、 |