蔽へ、生ける取扱ニして行
女アリ、命ハ天トハ乍云、
好て到るハ愚と思、讃支
渡んとするため也、瀬尾ニ宿、
大坂ヨリ備中迄、
痛神送るとか云て、馬鹿
等敷事、何れもあり
十六日 大雨 間々晴
前ニ云ことく、諭ヶ(由加)山を見物して、
下ツ井へ出、讃支へ渡らんため来れとも、
朝大雨ニて、悪気を一洗する
ならんと思、且、讃支ハ帰路
之図リ、殊ニ松山ハ山中故、返
彼方好からんと決定して、
瀬尾より、右ニ吉備之社見て、
板倉出、是ハ本道なり、板倉
より松山道別れて、城下迄
八里、弐里計リハ平らなれ共、
跡は皆山ニて、松山川とて玉島へ |