到り、既ニ御茶坪、御木像モ渡リ、
公方様ノ御像、京より出来て
上る由、勢盛なる事也、宿之前ニて
手を附て居ル、御茶坪ハ問屋
之前ニ在、長持之由、川端之群
集数百人、川越両岸ニあり、
大相なる物なり、横須賀ノ人と
両人ニて渡リ、渡賃も少く
都合好し、川ハ首ニ到、連
台ニ水まゝ附様なれと、舟ニて
渡れハ易る也、古人モ数々論、
実馬鹿等敷事、可惜、所之
者之咄ニて、尤当ニならぬ咄
なれ共、舟渡ヲ云者ありし、則
尾州様ニて川原之草はいる故、
不相成と、後ニハ定東海道ニ
草生んと、たわむれなれとも
面白咄ナリ、金谷之山上より渡場
を見るニ、画も不及有様なり、
富士も見へ好景色なり、 |