大火初めて西に流れ 稍々覚ゆ粛気の催すを 階下虫響聒しく 林頭風声哀しむ 既に看る梧桐の落つるを 偏に驚く烏兎の馳するを 丈夫五十歳 琢磨須らく時に及ぶべし
八、又 江門に客たりし自従 裘既に三たび易ふ 二慈遠道に在り 相思ふこと朝夕靡し 此の節物の変ずるに値ひ 陟(岾)の情更に切なり 何の日か宿志を遂げ 帰郷久別を慰めん
九、早春東台に遊ぶ癸丑 桜花未だ発かず春猶ほ浅し 旧に依って青松梵城を擁す 酔舞高歌の人到らず 暮鴉の声は雑る暮鐘の声
一〇、三国嶺 山程三十里 絶険与に京いなる莫し 性素と丘を愛す 何ぞ恨みん歩行の難きを 日映じて林鮮かに 風来って衣裳冷かなり 千重山脈続き 百折道羊腸たり 奇禽石上に語り 異草路傍に生ず 淙々たり深渓の響き 丁丁たり伐木の声 幽致洵に楽しむべし 転た襟懐の清きを覚ゆ 何か当に塵覊を脱して 此の際に茅亭を結ぶべき
一一、又 嶺窺って上毛尽き 是れより北越に下る 勁風雪山を度り 人を吹いて寒さ 凛(漂)冽たり 足は山路の険に倦み 心は郷関の迫るを喜ぶ 二慈閭に倚って竢つ 早く帰って久別を慰せん
一二、癸丑六月、弥利堅の使節彼理(ペリー)、兵艦四隻を率ゐて、浦賀港に来り、 其の大統領の書を致して去る。象山先生詩あり、其の韻に次し奉る。 忠憤鬱屈涙空しく流る 正に是れ黠夷海を侵す秋(とき) 講武十年以て用ふるに足る 千里に折衝する豈人無からんや 草茅未だ見ず奇傑の興るを 廊廟何に縁ってか遠を建てん 生れて神州に在り同じく沢を受く 如今孰か深憂を負はざる 幽憤深慨、志士の本色。