亦能く自ら之を為し、肯へて下官に委ねずして、内外の百官又皆其の職に称(かな)ふ。中国以て治まり、四夷以て懼る。外戚権を専らにするに及んで、擅まに其の子弟族類を引いて、諸(これ)を仕に登す。門地の論熾(さか)んにして、材学の用乖く。而して学遂に博士の家に帰す。是より厥(そ)の後、公以下不学にして職を曠(むな)しくし、皇化以て廃し、王法以て壊(やぶ)れ、保平の乱を馴致し、政、武門に帰す。而して博士の家も亦多く其の学を失へり。源氏北条氏足利氏織田氏豊臣氏相継いで政を為す。彼、此より善きは則ちこれ有り。然れども要するに皆武断苟簡にして、済(すく)ひを一時に取るのみ。豈亦学の国を経(おさ)むるに已(や)む容(べ)からざるを知らんや。
『我が神祖の興る。蓋し嘗て此(ここ)に見るあり、乃ち能く鞍馬倥偬の際に於て、儒臣を徴(め)し、遺書を求め、将(まさ)に以て丕(おお)いに天下を変ずるあらんと欲す。惜しいかな。当時の儒臣学固(かたく)なに識陋(ひく)くして、先王治教の事を昌言して、以て明主の意に副(そ)ふこと能はざりしことや。爾後二百余年兵革動かず、国家益々儒術を崇び、士大夫稍々(やや)学に(むか)ふ。是の時に方りて、問暇已に久し。千古の廃典を挙げて、太平を万世に開くも、何の難きことかこれあらん。然り而して天下の政、唯草昧の旧に因りて、略々(ほぼ)潤飾を加ふるのみ。苟くも足ることを目前に取り、以て近日に至る。廟堂の謀、終に学を興し、材を育し、以て経綸の務を成すに及ばず。大学の設、日たること久しと雖も、規模狭小、法制粗略にして、其の施未だ博からず。学政は一にこれを儒臣に付して、復(また)意を措(お)かず。而して其の他、文武の学、礼はこれを礼家に付し、楽はこれを楽家に付し、兵はこれを兵家に付す。射御書数刀鎗医方、凡百の学に至るまで、亦皆これを射家御家書家数家の類に付し、人々のこれを為すに任(まか)す。故に学者各々私見を張り、其の要を求むるを知らず。是(ここ)を以て天下の学、固(こ)にあらずんば則ち虚(きよ)にして、其の用に適するもの、蓋し幾ばくも無きのみ。然り而して、官を授け職に任ずる、又唯々閥閲資序を以てするのみにして、学と材とは則ち問はず。故に治道に達せずして、執政に任ずる者これあり。食貨に習はずして司農たる者これあり。兵を知らずして三衛を管する者これあり。律を学ばずして理官たる者これあり。工を暁(さと)らずして大匠たる者これあり。是の類を推すや、指(ゆび)僂ふるに勝へず。学の明らかならざる、人材の振はざる、文武百官の其の人を得ざる、豈此より甚しき者あらんや。
夫れ以(おも)ふに中国の勢此の如し。而して夫(か)の東西の諸蕃は其の道浅陋、其の俗貧鄙、遠く中国の美に及ばずと雖も、然も其の発明する所の諸学に至っては、則ち幽微を探り、精緻を窮め、家国民生を裨益すること、中国((日本のこと))の未だ嘗てあらざる所なり。而も其の学を設け材を育し、職を分って課を考ふること、又詳かにして且悉(かつつく)さざることなし。是(ここ)を以て、焉(これ)を内にしては、政事を修め、財用を理(をさ)め、百工を課す。焉(これ)を外にしては、外国にはり、貿易を通じ、師旅を出して、廃事あることなし。国以て富み、兵以て強く、四海に横行して、能く禁ずる者なし。彼(かれ)其の自ら視ること太(はなは)だ驕り、中国の己(おのれ)に若かざるを見るや、以為(おも)へらく是(これ)愚なる可しと。乃ち陸続として至り、不の語を出し、跳梁の態を示す。而して中国は奈何ともする莫し。是に於て初めて、我が学の果して用に適せざるを知り、変革の令乃ち下る。 |
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