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小林虎三郎 求志洞遺稿について 凡例 このサイトの見方
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2.興学私議
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 何をか教養を広めて以て人材を育すと謂ふ。夫れに学の事二(ことに)。注釈91道のみ。注釈92芸のみ。道は以て体を明らかにし、芸は以て用を達す。相離る可からざるなり。今注釈93都府の学三。大学と曰ひ、武学と曰ひ、蕃書院と曰ふ。注釈94大学は主道を教ふる所にして、注釈95武学と蕃書院とは、則ち芸のみ。然り而して三者相為に謀らざること、注釈96胡越の如く然り。此れ固より已に失せり。而も、況んや、三者皆未だ其の宜しきを得ざること、前に言ふ所の如きをや。
 今これを注釈97修挙せんと欲せば、三者これを一所に集めて、皆其の注釈98堂廡注釈99屋舎注釈100垣墻の制を拡大し、大学に在っては、則ち教師を増して而して其の選を厳にし、国史制度律令格式の学、国家礼楽(学)兵制食貨の注釈101籍、皆これを此に属し、之を古法に考へ、之を時勢に斟(く)み、以て科を設け局を分つ。要は華を去って実を得るに在り。夫の武学と蕃書院との若きは、其の教ふる所の芸、率ねこれを注釈102彼に取れば、則ち其の科を設け局を分つは、固より亦宜しく傚ふべきなり。而して教導人(ひと)に乏しければ、則ち生徒を遣はして彼に学ばしむると、教師を彼に雇ふとは、又皆速かに行はざる可からず。遣はす所の生徒は、拾歳以上、四拾以下、注釈103俊爽彊敏なる者を択び、五人注釈104保と為し、保に長あり。総長を立てて、其の勤惰を督す。雇ふ所の教師は、毎科数人にして、各局に分居す。諸学科用ふる所の図書器械、又皆これを彼に購ひ、各局に配置し悉く備へざるなし。』
 然る後に士大夫の子弟、皆これを大学に入れ、注釈105四子注釈106六経の道を講ぜしめ、以て他科に及ぶ。これを武学と蕃書院とに入れ、彼の諸学科を治めしむ。而して三学の諸科、固より皆其の才を料って之を課す。其の堪へざる所を強ひず。然れども、四子六経の道に至っては、則ち又皆与(あず)かり聞かざること無からしむ。何となれば則ち芸は一人を以て綜(す)ぶべからざれども、人は以て道を学ばざる可からざればなり。夫れ此の如くして、然る後に三学の制備はる。
 『然れども猶宜しく挙ぐべき者あり。注釈107小学是なり。夫れ長じて学ぶは、小にして之を習ふの入り易きに孰若(いづれ)ぞや。故に先王殊に小学の教を重んず。而して近ごろ外蕃、注釈108幼蒙を導くの法を聞くに、又其の詳を極む。今都府に於ては、小学を建つること数所、士大夫の子弟、年七八歳に至れば、皆これを此に入れ、教ふるに注釈109六書の学、四子六経の文を以てし、兼ぬるに外蕃幼蒙を導く所以の者を以てす。其の長ずるに及ぶや、之を三学に進むれば、則ち教を受くるに地あり。材以て達すべきなり。
 夫れ是(かく)の如くして、然る後に都府の学備はる。然れども学未だ天下に遍からざるなり。則ち凡そ都会鎮営(ちんえい)郡県の治、又皆学を建つること一に都府の制に注釈110原き、其の官吏の子弟、及び士人の才ある者を教へて、其の俊秀なるを選んで、之を都府の三学に致す。又侯国をして皆学を建てしむることも、亦一に都府の制に原き、其の士民を教へて、其の俊秀なるを選んで、之を都府の三学に遊ばしむることを許す。』
 夫れ是の如くにして、然る後に学天下に遍し。然れども猶宜しく学ばしむべき者あり。諸侯是なり。夫れ諸侯は士を養ひ民を撫で、以て国の注釈111屏たり。而して注釈112内諸侯に至っては、則ち執政参政の選皆焉(これ)に取る。苟くも学ばずんば、平時と雖も、以て国を治めて政に従ふなし。而るを況んや此の変革の際をや。

注釈

91-102 103-112
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