其の施をして能く普からしめば、則ち其の利又如何ぞや。西洋重学の家国民生に於て、一日として焉を緩やかにすべからざる者、これを此に観るに、其れ亦以て瞭然として疑ひ無かる可きかな。
余重学訓蒙を訳すに方り、客の城東の諸村水碾車の事を以て余に語る者あり。因って之を叙逑して以て後序と為す。小林虎、子文氏。
七、察地小言の序
癸丑の十月、虎復江都に赴き、象山先生の門に遊ぶ。是の時花の事方に殷んにして、大朝令を下して、厳に沿海の防備を飭(いま)(飾)しむ。大小の侯伯より以て大夫士にぶまで、皆銃を演じ、兵卒を練り、弾薬を製し、糧を弁じ、黽勉拮据夜以て日に継ぎ、惟々其の及ばざるを是れ懼るるのみ。而して布衣の書生の、平生文墨自ら喜ぶ者と雖も、亦皆筆硯を投じて、韜に習はざる靡し。
虎是より先、既に研経の暇を以て、泰西の隊銃陣の法を先生に受くれば、則ち又益々力を此に用いて、以て爪牙の用を致さんことを求む。乃ち窃に以謂(おも)へらく、用兵は地の利を得るを貴ぶ。故に孫子十三篇は、従前兵を談ずる者の要訣と為す。而して地理を論ずる者、三其の一に居る。泰西の兵術、近ごろに至って倍々進み、遠く本邦漢土の上に出づ。則ち察地の事、亦必ず其の精を極むる者有らん。既に之れ有り。而して未だ之を知らざれば、砲隊銃陣、其の進退分合の法、平時に在っては、既に熟すと雖も、而も一旦敵に臨まば、滞碍必ず多からん。悪んぞ敗を免かるるを得んやと。
因ってこれを先生に質(ただ)す。則ち曰く、子の疑ひや善し。彼の国の兵家、固より所謂察地学なる者ありて、自ら一科を為すと。遂に把氏の書中に工兵察地篇を出して、以て焉を示して曰く、是れ々数葉のみ。固より未だ備はれりと為さず。然れども之を孫子以下の地理を論ずる者に視(なぞら)ふれば、其の詳略精粗の相距(さ)ること亦已に天淵なり。今鈔して小冊子と為し、夫の一隊に将たり、及び探に任ずる者をして、皆預め熟復し、而も行軍の際、又之を懐裡に(お)き、臨時に閲せしむれば、則ち其の地の利を得ること、思ひ半ばに過ぎん。子盍んぞ先づ鞭を着けざると。
虎大いに喜び、一本を鈔して以て読む。既にして花再び来り、貿易の約成る。復、兵を用ふるに至らず。而して虎忽ち罪を獲て以て帰る。未だ幾ばくならざるに又沈痾に罹り、之を高閣に束ぬること已に十余年なり。
今茲長藩益々傲るを憂ひ、列藩命を奉じて討勦す。而して我が公焉に与る。虎乃ち深く其の疾の益々痼にして、従って方剛の力を致す能はざるを慨き、則ち遂に旧本を出し、訳すに国字を以てし、名づけて察地小言と曰ひ、以て平生同憂の士の軍に従ふ者に貽る。庶幾はくは其れ省察して、以て滞碍の患を免かるる所あらん。而して区々敵愾の志も亦少しく伸ぶるを得んか。
嗟夫、癸丑の時、其の敵とする所は、惟々花及び魯英の諸国のみ。而も天下の心、唯々我が威の海外に振はざるを患ふるのみ。故に此の書の鈔も、亦専ら外を防ぐの為にす。今則ち互解土崩の害相仍って起り、 |
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