若しくは古拙、其の技(枝)の趣、固より各々異なりと雖も、要するに、亦皆性情の呈露する所にして、一々之を観れば、皆以て其の人と席を同じうして語り、樽酒歓(観)をくすの想ひあらしむ。我雄渾を喜ぶ、我冲澹を喜ぶ、我は繊穏秀にして、復た其の余を顧みずと謂ふが若きは、則ち猶、紅紫を愛して而して黄白を厭ひ、怪特を取って而して蕭淡を舎つるがごとし。其の隘も亦甚し。豈又共に風雅の道を語るに足らんや。余の此の説を持するや久し。新斥坪井生、其のむる所の帖を持ちて来り、余に弁言を謁ふ。因って書して以て之を与ふ。丁卯の仲春七日。
一〇、泰西兵餉一斑の序
将良く、兵精しく、器利(と)ければ、以て戦ふ可きか。曰く「食未だ足らざるなり。」と。戦って食に乏しければ、良将も其の謀を運(めぐ)らすこと能はず、精兵も其の力を施すこと能はず、利器も其の用を致すこと能はず。是の故に善く兵を用ふる者は必ず其の食を足らさんことを務む。昔漢の高祖、出でて項羽と相持すること数年なり。蕭何留って関中を治め、其の粟を輸(いた)して以て供給す。高祖終に因って項羽を亡して以て天下を取るを得たり。乃ち何(か)の功を以て第一と為し、之を攻(功)城野戦の上に置く。豈戦は食を以て重しと為すの故を以てにあらずや。後世此を詳かにせず。師の外に出でて食を内に仰ぐや、内の度支惟々財を惜しむを知りて、供給太だ薄し。兵卒飢ゑ疲れ、遂に以て敗衂を致す者、諸(これ)を史籍に観るに、何ぞ啻に一二のみならんや。
蓋し、事の至労至難なる者は兵に踰ゆる莫し。至健至康なる者にあらざるよりは、之に任ずる能はず。而して兵の其の健康を保つ所以の者は唯食のみ。三日食に乏しければ、必ず其の健康を失ふ。夫れ役の至労至難の事を以て、其の供給を薄くし、之をして其の健康を失はせ、以て糜爛の惨を(ふ)ましめて、而して国又其の禍を承く。吁(ああ)亦不仁なるかな。吁亦不智なるかな。
近今泰西の各国深く此に察することあり。乃ち其の兵卒をして甘飽して以て其の健康を保たしむる所以の者、其の詳愁を極む。洵(まこと)に和漢古今の未だてあらざる所なり。之を彼の国の兵志に考ふるに歴々として見るべし。属者余、荷蘭隊(はうたい)加(カ)毘(ピ)丹(タン)薄(バ)魯(ロ)印(イン)著す所の従軍必携を購ひ獲て之を読むに、内に兵餉篇あり。語簡なりと雖も、而も夫(か)の兵卒をして、甘飽して以て、其の健康を保たしむる所以の者、亦以て其の概略を観るに足る。因って摘んで之を訳し、名づけて泰西兵餉一斑と曰ふ。以て子弟の兵を学ぶ者に授く。而して諸々の観んことを請ふ者にも、亦敢へて隠さず。
嗚(鳴)呼、泰西の兵術は既に宇内に冠たれば、則ち、我が列藩の軍政を経理する、固より専ら彼の制に傚(なら)はざるを得ず。乃ち兵餉の一事も亦彼の為す所を取って以て参酌するにあらずんば、則ち必ず其の宜しきに適(かな)ふ能はず。然らば則ち此の書の載する所の若き、出でて兵に将たる者、固より知らざるべからず。入って供給を管する者、尤も知らざるべからず。此を知らずんば、兵卒をして、甘飽して以て其の健康を保ち、糜爛の惨を免れて、禍をして其の国に及ばざらしめんと欲するも必ず得べからず。而して彼の不仁不智の責、又悪(いづく)んぞ得て而して之をれんや。 |
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注釈
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