余聞く。「西洋各国法律の書は、至って詳、至って悉、而して独り彫刻して頒布するのみにあらず、又以て斉民必学の科と為す。故に斉民皆法律の概を知らざるなく、
訟獄自ら寡なし。其の或いは之有らば、有司先づ審かに其の情を訊ね、然る後に判して曰く、汝が訟ふる所、律の某条に合せず。故に曲に属す。汝が犯す所、律の某条に当る。故に処するに某刑を以てすと。訟ふる者犯す者、皆復辞を措く所なし。甘心して罪に服す」と。鳴呼、是れ豈周人刑を布き法を読むの意に同じうして、能く其の精を極むる者に非ずや。
方今国家の務は、宇内の至善を択んで、
経邦の大典を定むるに在れば、則ち西洋法律の書の若きは、有志の士に於て、宜しく
参覈すべき所と為すは、固より論を待たざるなり。但々余、疾益々痼に、神益々
耗し、蟹文の籍を繙かんと欲するも、得べからず。僅に一二邦人訳す所の者に就いて、其の一斑を窺ふのみ。悪んぞ以て其の要を摘して、之を述ぶるに足らんや。天下の大、固より傑俊の士に乏しからず、必ず当に能く其の全豹を見、訳して之を出して、以て東方の未だ備らざる所を補ふ者有るべし。余則ち
刮目して以て待つ。
庚午の秋、九月某日。虎 記。