一三、長沢伯明を送る序
を躡んでを担ひ、千里に遨遊して、城郭の麗、都邑の美を閲、名山大川の険怪奇絶の趣を探るは、固より以て眼を娯しませて神を怡ばすに足る。古昔の、明王賢相の流風遺韻の在る所、忠臣義士の余烈の存する所と、夫の英雄豪傑の経営規画の跡とを観て、以て盛衰興廃の故を察するに至っては、則ち心に感じ、情に動き、俯仰低徊して、将に棄去するに之れ忍びざらんとす。豈眼を娯しませ神を怡ばすのみと曰はんや。古を好み学に志すの士、固より前の云ふ所の者に楽無くんばあらず。而して後の云ふ所の者に於いて、意を致すこと特に深し。前の云ふ所の者は、六十の州所在に之れ有り。後の云ふ所の者は、幾内、天下に多し。
蓋し太祖都を橿原に始めてより、延暦鼎を平安に定むるに至るまで、其の間々遷るも、皆畿内を出でず。将相焉れに居り、百官焉れに在り、賢材焉れに萃り、王政焉れに由りて出で、守介焉れに由って命じ、征伐(代)焉れに由って興る。四方の環至する所、財貨の輻湊する所、夷蛮の帰嚮する所なり。保平以降武人横ままにして、皇憲廃る。然れども、武人の私を営むも、亦天子に依って以て重きを為さざるを得ず。故に京師は常に武人の争ふ所と為り、天下変有れば、兵必ず畿内に聚る。而して其の間又勤王尽忠の者之れ有り、奉戴して覇を図る者之れ有り。故に夫の畿内なる者は、治まれば則ち政出で、乱るれば則ち事集る。故に後の云ふ所の者天下に多し。
吾が友長沢伯明、好んで国籍を読む。余之れと会へば、未だ嘗て言、国事に及ばずんばあらず。其の酒酣にして、談、熟するに方っては、恍然として倶に古の世に生き、古の事を観るが若し。今茲の春、伯明将に岐岨を踰え、東海に出で、伊勢の二廟を拝し、寧楽の故都を覧、浪華を過ぎて、平安に入り、皇居の壮を観んとす。夫れ伯明の今日践む所は、乃ち平素講ずる所なり。則ち必ず指して曰はん。「此の邑は某帝の都せし所なり。此の丘は某帝の陵なり。此は某の義に死せし者(ところ)に非ずや。此は某の賊を殲しし者(ところ)に非ずや。此の水は某の乱りて某を襲ひし者に非ずや。此の嶺は某の拠って某を拒ぎし者に非ずや。」と。其の心に感じ、情に動き、俯仰徊低して棄去するに忍びざる者、将に是に於いてか在らんとす。
余又其の悵然として北顧し、「吾(われ)、我(わ)が炳文と同(とも)に、遊ばざるを恨む。」と曰ふを知る。
一四、酒井公賓に贈る序
人の難に遇ふや、其の自ら致す所に非ずして、意料の外に出づる者あり。斯の時に方りては孰れか視て不幸と為さざらん。然れども果して能く順にして之を受け、ちを省み、志を責め、自ら脩めて息まざれば、則ち業因って成り、名因って立ち、而して身も亦栄ゆ。然れば則ち難未だ必ずしも不幸たらず。適々幸たる所以なり。業已(巳)に成り、名已に立ち、身已(巳)に栄ゆ。斯の時に方って、孰れか視て幸と為さざらん。
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