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然れども志以て怠り、気以て惰り、勉励刻苦、復能く其の始めの如くならず。則ち已に成るの業、日に以て漸く荒み、已(巳)に立つの名、日に以て漸く損し、身栄ゆと雖も、徒らに人の賤しむ所と為るのみ。且、難の栄と相因って窮り無き、今栄ゆと雖も、悪んぞ後、復、 猝に至るの難無きを保せんや。夫れ已に怠るの志と、已に惰るの気とを以て、猝に至るの難に応ず。 然として自ら挫けざらんと欲するも得んや。
然れば則ち栄えも未だ必ずしも幸ひたらず、適々不幸と為る所以なり。是の故に有志の士、其の難に処し、栄えに居る、固より当に其の功を用ひざる所無かるべし。而して其の難に処するに方りて、亦預め栄えに居る所以を思はざるべからず。又其の栄えに居るに方りても亦預め難に処する所以を思はざるべからず。夫れ然る後に栄えに懈らず、難に挫けず。難を乃ち幸と為し、栄え至らざるを不幸と為すを庶幾ふ可きか。
余が友酒井公賓、 幼にして奇禍に中り、家を承くるを得ず。二親悲泣す。公賓遂に自ら奮って、東のかた江門に游び、 緑野萩原翁に学ぶ。饑寒困窮、其の志を めず。 孜々兀々として、 油 に継ぎ、成る有って以て二親を慰めんと期す。居ること数年、学頗る進む。藩乃ち前過を宥し、挙げて 邸学の教官と為す。公賓猶自ら以て足れりと為さず。遂に辞して去り、更に博く四方の学士と はり、 麗沢相資して、以て其の識を広む。斯くの如き者、又数年、学益々進む。会々藩、学政を 更張し、召還して教官に補す。今茲 乙丑の九月、訓導労有るを以て、 俸五口を賜ふ。蓋し、異数なり。親戚知旧以て悦びと為し、郷党隣里以て栄えと為す。酒を載せて賀する者、昼夕絶えず。是に於てか、二親の心、 頑霧(務)を いて澄空を覩るが若し。 疇昔の悲愁 鬱結全く融け、欣歓 快暢を為す。而して公賓の喜び亦知るべきなり。 逐旋して翁以下、皆賀するに詩を以てす。余も乃ち亦其の 顰に傚はんと欲す。又辞の 諛に流れて、以て夫の 朋友切偲の義に違ふ有るを懼るるなり。則ち遂に栄難幸不幸の説有り。
夫の区々たる数口の俸、未だ公賓の為に言ふに足らず。而して公賓も亦此を以て自ら足る者に非ず。況んや、其の 流離崎嶇、已に二十年、凡そ心に困しみ 慮りに衡るの事、一も嘗めざる無ければ、則ち、栄難幸不幸の際に於いて、之を察すること必ず精しきをや。尚何ぞ吾が言を待たんや。然りと雖も、古人言はずや。「 始有らざる靡く、克く終り有ること鮮し。」と。又言はずや。「 百里に行く者は、九十九里を半とす。」と。此れ則ち公賓たる者、益々自ら戒励せざるべからず。而して余の言も其れ亦以て已(巳)むべからざるかな。


一五、 蒼竜岡の記
乙卯の秋、余 水沢邨に來り、 山楚香の家に寓す。一日会々晴る。楚香余を催して村東の岡に 躋る。岡に老松三株あり。其の大いさ 連抱、其の高さ 累引、 赭鱗碧蘚、 梃然として 突怒(恕)し、蒼竜の将に天を衝いて飛ばんとするが若く、人をして 悚然として 聳観せしむ。蓋し皆数百年外の物なり。岡上数十歩、山を被り林を帯ぶ。
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注釈
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