其の罪の帰すべからず、変の委すべからず、険悪の推辞すべからざる者に至っては、則ち遂に曰く、是れ摂養の慎まざると、看護の善からざるとに由るのみと。凡そ此の数者は皆所謂機の俗なる者にして、其の浅薄の学、拙劣の術を以て、其の業を售りて以て其の門を大にする、未だ始より此に由らずんばあらざるなり。
夫れ人の心は固より用を両にする能はず。彼其の平日汲々として心を用ふる所、既に已に此くの如し。而して又何ぞ機の正しき者を研するに暇あらんや。是(ここ)を以て業倍々售れて、術倍々拙く、門倍々大にして学倍々荒(すさ)む。豈之を医と謂はんや。
今楚香既に其の恥づ可しと為すを知り、慨然として自ら奪ひ、機の正なるものを研して以て、古医の道を復せんと欲す。則ち機の俗なる者は必ず忘れんと欲する所に在り。子奚んぞ疑はんやと。客唯々として去る。
会々楚香余が文以て記と為さんことを求む。因って客と語る所を書して以て責を塞ぐ。然れども果して楚香の意を得るか、否か。余亦未だ之を知らざるなり。
一九、冬夜偶記
冬夜、更将に半ならんとす。風収まり雪霽れ、寒月忽ち昇り、清輝楼を窺ふ。是(これ)に於て、起って東窓を開き、後園を俯瞰す。後園数百歩、積雪皚々として、月色と相映じ、彩華爛発し、一幅の大光箋を展ぶるが如し。而して近の茅屋枯樹、皆影を其の上に倒まにし、古怪峭抜、風趣超絶、真に是れ倪家の画図なり。天公も亦此の游戯あり、奇なりと謂ふべし。之に対して胸懐豁然として、寒威の病膚に徹すると覚えざるなり。
二〇、恥の説
孟子日く、人以て恥無かるべからずと。善い哉、言や。鳴呼、天下の人をして、各々自ら恥を知らしめんか、則ち天下の慶、何を以てか焉に加へん。
夫れ人は未だ必ずしも生れながらにして賢なる者あらざるなり。其の賢たる所以の者は何ぞや。学んで之を知り、勉めて之を行ふのみ。其の学んで之を知り、勉めて之を行う所以の者は、又何ぞや。賢を見て若かざるを恥づる而已(のみ)(巳)。均しく是れ人なり。而して彼は、能く仁を行ふ。我は則ち仁ならず。彼は能く義を行ふ。我は則ち義ならず。彼は能く礼あり。我は則ち礼無し。彼は能く智あり。我は則ち智無し。苟くも喪心陥溺して、救止すべからざる人に非ずんば、則ち孰か能く恥なからん。夫既に已(己)に之を恥づれば、既に又豈何に依ってか、放惰にして、自棄に甘んぜんや。必ず黽俛刻励して、以て克治の功を究めて、而して旧染の汚を去らんと欲するなり。夫れ然る後に学成り身脩る。其れ庶幾(ちか)からんか。
夫れ国未だ必ずしも徒らに治まる者あらざるなり。其の治まる所以の者は何ぞや。琢磨淬して以て其の方を尽すのみ(而已)(巳)。其の琢磨淬して以て其の方を尽す所以の者は、又何ぞや。亦賢を見て若かざるを恥づる而已(のみ)(巳)。均しく是れ治むるなり。彼は能く其の徳を修む。我は則ち未だ能はず。彼は能く賢を挙げ能に任ず。我は則ち未だ能はず。 |
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