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稿本略註国訳求志洞遺稿 文 乾
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稿本略註国訳求志洞遺稿 詩 坤全
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小林虎三郎
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求志洞遺稿について
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28.明の史閣部、清の睿親王に答ふる書の後に書す/29.手写諳厄児氏籌海試説の後に書す
故に
天崩地
(圻)の変、之に処って疑はず、百万咆哮の群、之を視て懾れず。其の辞命に発する者に至っては、則ち亦唯々其の存する所の誠に原(もとづ)き、其の執る所の義を推し、其の養ふ所の義に資(と)り、酌んで而して之を行ふのみ。故に
率然として之に応へて、能く其の肯綮に当り、以て人心を聳動する者、此くの如し。固より夫の
充養素無きに非ず。一旦
安排擬議して之を出す者、得て
髣髴する所なり。既に已に之を論ぜり。遂に又其の後に書し、以て区々たる
嚮慕の私を表すと云ふ。
安政二年歳次乙卯、春、正月某日。後学小林虎謹書。
二九、手写
諳厄児氏
籌海試説の後に書す
籌海試説七巻、図二
幀は、我が天保十年、即ち西暦一千八百三十九年、荷蘭砲隊将、諳厄児(アンゲル)氏の著はす所なり。荷蘭の地は半ば海に瀕し、英仏諸強国と、岸を対し境を接す。而して其の海に瀕する者は、率ね皆
平衍広漠として、巉巌絶崖の険寡し。衝突
剽掠、毎に其の患ふる所と為す。故に籌海の策、甚だ急務と為す。従前の兵家、固より已に述作無きに非ず。然れども、其の的確精当、以て準式と為すに足る者を求むれば、即ち寂乎として有ること無きなり。諳厄児氏斯に慨するあり。乃ち諸(これ)を先覚の説に究め、又これを将校の辺事に老(た)けたる者に質し、更に往いて沿海枢要の地に居り、目のあたりに察(み)、足に践み、実に測り、審らかに推し、凡そ五たび寒暑を歴(ふ)。籌海の利害得失に於て、灼として火を観るが如し。然る後に此の書を著す。即ち其の論説の至当、遠く諸家の上に出で、依拠すべしと為す、又曷ぞ疑ひを容れんや。
には象山先生掲げて焉を示して曰く、本邦四面皆海。而して東西の諸蕃、舟楫の術、日に以て滋々精しく、其の衝突剽掠の虞あること、何ぞ啻に荷蘭のみならん。則ち此の書の若き、凡そ心を辺事に留むる者、一通を取って以て之を座右に置かざるべからずと。
虎拝して之を受け、写して蔵せり。今之を読んで、その論ずる所を観るに、砲台の築造、火器の主用、
軍須の儲蓄、
点放の機宜より、以て夫の水兵の応接
掎角の法に及ぶまで、率ね皆本邦人、思慮未だ嘗て至らざる所なり。始めは則ち愕然として驚き、茫然として疑ひ、殆ど企及すべからざる者の若し。徐ろにして之を思へば、則ち
渙然として釈(と)け、
沛然として
疏る。乃ち信に其の規画する所、皆之を窮理に原き、之を実歴に参し、算数に密に、事情に切に然らざるを得ざるに止まる。固より未だ始より驚いて疑ふべき者あらず。本邦の人と雖も、苟しくも学んで之を習ひ、久しうして熟せば、則ち又得て能くすべきなり。
吾聞く、
花旗の将に本邦に来らんとするや、夫の
烈葛多二隻、以て其の都城を擾(みだ)すに足ると曰ひ、
羅
布恬廷長崎の
砲
を観て、好港
呆
、夫の烈
多一隻もて、得て奪ふべしと曰ふと。
注釈
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28.明の史閣部、清の睿親王に答ふる書の後に書す16-21
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29.手写諳厄児氏籌海試説の後に書す1-10
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29.手写諳厄児氏籌海試説の後に書す11-16
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