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稿本略註国訳求志洞遺稿 文 乾
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稿本略註国訳求志洞遺稿 詩 坤全
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小林虎三郎
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求志洞遺稿について
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凡例
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29.手写諳厄児氏籌海試説の後に書す/30.英吉利図志及び広述の後に書す
向(さき)に本邦の人をして、凡そ防備の策、能く此の書の載する所の若くならずんば、未だ以て外人の侮りを禦ぐに足らざるを知り、虚談を
ひ、実論に就き、措置施設、皆其の当を得しめば、則ち
二虜何ぞ敢へて此の言を発せん。夫の
海関を踰え、都城に迫り、驕横恣縦、忌憚する所なく、其の欲する所を得て去る者、又何ぞ之あらん。
余古の善く兵を用ふる者を観るに、苟くも以て敵を制すべくんば、則ち敵の為す所と雖も、亦資して之を用ふ。
黄帝の
蚩尤の兵を用ひて以て蚩尤に勝ち、
趙の主
の胡服の騎射以て胡を退け、
清の太宗の明に効って、
紅衣
を造って以て明を破るが如き、是れなり。
荷蘭の本邦に於ける、通信貿易、二百有余年、昵(した)(眤)しからずと為さず。然り而して其の長ずる所、資って以て自ら助くる能はず、以て醜虜の屈辱を受く。智と謂ふべけんや。今天下の人
洶洶焉として懼れ、
倥偬紛擾、専ら守禦の策を講ず。而して都城近海、猶未だ一
一
煩舶の以て虜艦を打砕すべき者あるを聞かず。況んや其の他をや。是れ則ち有志の士、暗憂益々深く、安寝して甘食する能はざる所以なり。
戸を閉ぢ人を
け、閑かに此の書を繙けば、回顧の際、感慨無くんばあらず。遂にその後に書す。
安政二年乙卯、
蒲月。雙松樵人 虎。
三〇、英吉利図志及び広述の後に書す
先王天下を治むるに、急とする所、人材より急なるは莫く、重んずる所、民命より重きは莫し。人材を急にするに事固より多し。
考績黜陟は其の要なり。
書に曰く、「三載績を考へ、三考幽明を黜陟す。庶績咸熙まる」と。蓋し既に課するに事を以てし、其の成る所を察して以て之を進退せざれば、則ち賢愚混じ、百務廃す。此れ考績黜陟の容(まさ)に已むべからざる所以なり。民命を重んずるに事固より多し。医政は其の一なり。
周官、「医師医の政令を掌る。凡そ邦の疾病ある者、
瘍者造れば、則ち医をして分ちて之を治めしむ。歳終ふれば、則ち其の医事を稽(かんが)へて、以てその食を制す。疾医は万民の疾病を養ふことを掌る。凡そ民の疾病ある者は、分かちて之を治め、
死終は即ち各々其の所以を書して、医師に入る。」蓋し医薬の関する所は極めて大なり。
剤
分銖を差(たが)へば、愈ゆる者も
痼し、起つ者も斃る。苟しくもこれを庸手に委ねて問はざれば、即ち
罅漏
欺罔、紛然として起る。故に聖人法を設けて、以て其の功を勧め、その弊を防ぐなり。
我が邦、文運日に旺んに、家ごとに書を挿み、人ごとに経を誦す。士の己を治め、国の人を治むる、皆
唐虞周孔の道に非ざる莫し。盛なりと謂ふべし。然れども、官為る者、其の進むに或いは
閥閲を以てし、或いは
格例を以てす。考試選挙の制に由るに非ず。其の官に在る、又
査勘褒貶を其の間に行はるるあるに非ず。故に
散材を以て顕職に居ると雖も、苟しくも大過失無くんば、則ち数十年を経て移らず。医たる者、各々其の意に任せ、政の以て之を
轄する無し。故に拙技を以て危症に
莅み、禍を
生霊に
貽す者、
比々として相望み、之を咎むること或(あ)る莫し。
注釈
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29.手写諳厄児氏籌海試説の後に書す17-24
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29.手写諳厄児氏籌海試説の後に書す25-28
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30.英吉利図志及び広述の後に書す1-10
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30.英吉利図志及び広述の後に書す11-20
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