安政四年丁巳、仲秋、長岡、小林虎子文
甫書。
米常に英を指して山狗と為す。或るひと又之を
衍して曰く、洋夷は
鈞しく是れ山狗なりと、余謂(おも)へらく、山狗の人を犯す、其の牙爪を恃むに非ずや。苟しくも爪牙無くんば山狗猛なりと雖も、何ぞ能く為さん。故に人自ら衛る所以の者、果して以て其の爪牙を制するに足れば、彼れ将に奔逃潜匿するに之れ暇あらざらんとす。敢へて人を犯さんや。洋夷の人を侵すも、固より亦爪牙あればなり。之を制するの術を務めずして、徒らに山狗を以て之を詈るのみならば、其の
噬む所と為らざる者希(ま)れなり。故に其の艦を堅くし、其の
を
皇いにし、其の民をして、侵侮を折くこと、米の英に於けるが若くならしめば、則ち指して山狗と為すも可なり。苟しくも未だ然る能はざれば、則ち不可なり。
虎、再び書す。
余嘗つて清人の、
嘉慶艇匪の事を記する者を読むに、区々の小醜、
海徼を
覬覦するを観る。東南数千里、之が為に
繹騒たり。朝廷の
討剿、意の如くなる能はず、
餉を糜し財を費やし、
李胡の二将、前後に戦没し、十余年の久しきを経て、後纔に能く之を殲(つ)くす。乃ち曰く、設(も)し、清人をして霆船(ていせん)の時、洋舶洋
を購造し、講じて習うに逮ばしめて、以て之れを撃たば、則ち何の
労擾か、之れ此に至らんや。此の書の載する所、
蔡牽朱濆の
余
、海上を
躁躪し、頻りに外洋の商船を掠め、夷舶に遇へば則ち敢へて動かざるを観るに及ぶ。一夷舶の利、十商船に抵(あた)るに足って、而も卒に相侵奪する無き者は自ら力の足らざるを知ればなり。水師艇匪を禦ぐ能はず、而して艇匪深く夷船を畏る。故に夷舶の
虎門に入るや、
晋省の河水師林立して、相顧みて色を動かすのみ。則ち又曰く是れあるかな、清人の
鹵莽(
)なるや。夫の外夷は深く畏るる所と為りて、我れ反って艇匪を制する能はず。苟しくも外夷にして一旦変あらば、将に何を以てか之を待たんとする。孟子曰く、
心に困しみ、慮に衡(よこたは)(衝)って、而る後に作り、色に徴し、声に発して、而る後に喩ると。艇匪の事は、固より心に困み、慮りに衡はる者なり。
乾隆以還、英夷悪を隠すこと既に兆あり。豈亦色に徴し、声に発する者か、非なる耶。清人省悟奮発、惟是の時を然りと為すのみ。而して
蒙蔽深固にして、優遊日を渉り、其の長技を師として、預め制馭の備を為すこと能はず。
道光の
敗衂豈怪むに足らんや。孔子曰く、
三人行へば、則ち必ず我が師あり、其の善き者を択んで之に従ひ、其の不善なる者は之を改むと。