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稿本略註国訳求志洞遺稿 文 乾
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稿本略註国訳求志洞遺稿 詩 坤全
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小林虎三郎
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求志洞遺稿について
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凡例
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32.帝鑑図説の後に書す/33.趙高鹿を指して馬と為す図に題す
神宗に勧めて以て学を講じ、賢に親しみ、民を愛し、用を節す。而して首めに此の書を以て献呈す。
其の書たる、善悪互に列し、勧懲並び備はり、説極めて平直にして、要は解し易きに在り。挿むに図画を以てし、披閲するに人をして
むことを忘れしむ。其の意を用ふることの懇切なる、深く幼主を導くの方を得たり。
後又、累朝宝訓実録(るゐてうはうくんじつろく)を
纂みて之を進む。其の書見る可からずと雖も、其の大意の若きは、類して推すべきなり。
夫れ居正、
新
を逐ふ。友道欠けたり。外艱制(ぐわいかんせい)を守(まも)らず。子道欠けたり。固より名教の罪人たるを免れず。然れども天資英特、
幹略人に絶す。故に内自ら
機務を統べ、主権尊く、軍吏粛す。外
李成梁、
戚継光に任じ、
辺塵起らず。其の君を導く所以の者に至っては、又能く条理あること此くの如し。其の輔相の業、但々明三百年を有つのみならず、与に此を為すこと鮮なし。これを今古に求むるに、亦未だ多くは得易からざるなり。
豈、少(か)くべけんや。後生不幸にして、主弱く国弊え、周公、
孔明、復起つべからずんば、則ち居正其の人を得て、之を救へば、斯に可なり。
万延庚申、
蒲月、念一日。後学、小林 虎書。
近ごろ、
朱彜尊の静志(せいし)(思)居詩話(きよしわ)を閲るに云ふ。
江陵能く自ら天下の重きに任ず。
定陵
冲年にして、大閲を請ふ。京営の士時に中枢を掌る者は、山陰の
呉尚書兌なり。尚書絵図してこれを家に蔵す。予
に尚書の孫、
錦衣使、
国輔の処に従って之を見ると。此れ即ち居正の幼主を輔くる、惟々能く之を導くに文を以てするのみならず、又能く之を勉むるに武を以てするなり。夫れ神宗の初年、南倭既に
蕩し、北虜亦敢て動かず、固より邦疆危急の時に非ず。然り而して、猶且、此くの如し。且豈富強の本を以て唯々人主の文武の学を勤むるに在るのみにあらず、文武の学偏廃すれば、即ち治を制して乱を防ぐこと、皆奈何とする莫きか。後の
国成を
る者、其れこれを察せよ。
虎、又書す。
象山先生曰く、子文の文、多く徒らには作らず。故に自ら敬すべし。
三三、
趙高
鹿を指して馬と為す図に題す
鹿の馬と、状頗る異なり。
三尺の童子と雖も、猶能く之を弁ず。而して彼の趙高なる者は、
悍然として鹿を指して馬と為す。二世乃ち其の
誣を笑ふと雖も、左右亦皆以て馬と為す。則ち二世も遂に自ら誣ひて以て惑ひを為す。然れども左右固より亦その誣を知らずして而して真に以て馬と為すに非ざるなり。特(ただ)、其の高の威を懾るるを以て、其の意に忤(さから)ふを欲せざるのみ、是(ここ)を以て姑く其の言に依る。二世の愚遂に自ら誣ふるのみ。然れば則ち鹿を指して馬と為して、以て天下を欺かんと欲す。是れ必ず得べからざる者なり。
今夫れ才佞の士、其の詭辞を騁せ、是非を変乱し、邪正を混淆し、以て其の姦を済す者、高の鹿を指して馬と為すと、何を以てか異ならん。然り而して世の士大夫、
して悟らず、其の誑(あざむ)く所と為り、是非の分に迷ひ、邪正の別に惑ひ、己を誤り、人を誤り、遂に以て国を誤るに至り、猶反るを知らざるは何ぞや。
注釈
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32.帝鑑図説の後に書す10-20
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32.帝鑑図説の後に書す21-29
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33.趙高鹿を指して馬と為す図に題す1-6
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