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稿本略註国訳求志洞遺稿 文 乾
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稿本略註国訳求志洞遺稿 詩 坤全
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小林虎三郎
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求志洞遺稿について
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41.侃斎老人の
法の墨蘭に跋す/42.宋の徽宗の古画帖の跋に跋す/43.硯の銘
四一、
侃斎老人の
法の墨蘭に跋す
墨蘭を画くこと、宋末元初に至って盛んなり。此(これ)を以て名家なる者、相踵いで作り、体製亦自ら一ならず。而して其の
地坡を画かざる者は、蓋し
所南氏の遺法たりと云ふ。
所南、名は思肖、宋末
博学宏詞の科に応じ、上書して事を論じ、省みられず。宋の亡ぶるに及んで、遂に隠れて仕へず。平生の一念、未だ嘗つて古主を忘れず。往々意を詩文の中に形(あらは)す。其の墨蘭を画く、地坡を画かず。或るひと、其の故を問へば、則ち曰く、地は已に他人の有となる。汝知らずやと。此れ則ち其の孤忠君を思ふの心、鬱屈して伸ぶる莫く、筆墨に仮託して以て其の端を示す。固より尋常文士の一時興を遣るの余に出づる者と、日を同じうして論ずべきに非ず。宜なるかな。後世高人逸士の欽(つつし)んで慕ふ所となるや。
侃斎(斉)老人蘭を画くに、最も
法を喜び、風趣幽遠、復一点の俗気無し。其の遺意を得たる者と謂ふべし。今此の幅を観るに、夫の所南の
介立不
の概、亦以て想像すべし。則ち独り文苑の佳玩にして止むのみならざるなり。
安政丙辰、孟秋、雙松外史 虎 跋。
四二、宋の
徽宗の古画帖の跋に跋す
世皆謂ふ。「宋の徽宗、能く衆芸を綜ぶ。其の足らざる所は、唯々人君の学のみなり」と。今其の「後世の覧る者、
し朕を国政を事とせず、務めて游戯玩具を為すと謂はば、則ち又朕の心を知る者に非ず。」と曰ふを観れば、此れ則ち却って自ら以て既に心を国政に尽くすと為して、未だ肯へて其の足らざる所を以て念と為さざるなり。
抑も徽(
)宗の優游怠惰を以て、其の言此くの若し。或いは将に其の情に称はざるを疑はんとす。然れども詳かに之を考ふれば、国を亡ぼし、家を敗り、身夷狄に陥り、天下の笑ひと為る所以の者、固より未だ独り優游怠惰に在らず、正に此に在るのみ。
唯々其れ自ら以て足らざる所無く、悪人の己に忤ふと為すのみなり。故に忠直の士、由って其の誠を致す莫く、
(侫)諛の臣以て其の毒を逞しうするを獲。是に於てか、政
はれ、民苦(若)しんで知らず。
熾んに、国蹙(ちぢ)まって察せず。亡びざらんと欲するも得んや。後の人君果して能く此に省みて、
然として戒懼する所を知れば、則ち此の廖々たる短章も、豈亦国を有(たも)つの
炯鑑に非ずや。
安政四年丁巳、冬、十一月廿五日。小林 虎 書。
四三、硯の銘
其の墨を香ばしくし、其の水を清くし、之を置くこと正しく、之を磨ること理(すぢ)あれ。亦
君子の小物を謹しむなり。
注釈
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41.侃斎老人の
法の墨蘭に跋す
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42.宋の徽宗の古画帖の跋に跋す
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43.硯の銘
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