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44.諸葛武候の画像の賛/45.彼ト加刺得斯画像の賛/46.戊辰刀隊戦没諸士の碣銘
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 四四、注釈1鄭武侯の画像の賛

 卓然たるの才、以て潮海を飜へして風雷を役するに足り、注釈2藹然たるの徳、以て鬼神を感ぜしめて蛮夷を服するに足る。注釈3管や、何ぞ其の徳の美を望まん。注釈4蕭や、何ぞ其の才の偉に配せん。これを注釈5三代に求むるに、其れこれ、注釈6伊呂の比(たぐ)ひか。
 日本後学、小林 虎。


 四五、注釈1彼(依)卜加刺得斯画像の賛
 天哲人を降す、注釈2西海の頭。注釈3方術を注釈4聿脩して、注釈5黎庶以て休す。来り学ぶに師あり、斯道日に優なり。孰れか、医を小なりと謂ふ。注釈6注釈7五洲に被むる。


 四六、戊辰刀隊戦没諸士の注釈1碣銘
 戊辰の変、我が藩の権臣迷錯して、妄りに私意を張り、遂に敢へて王師に抗じ、城邑陥没し、注釈2社稷注釈3墟と為るに至る。洵に臣子たる者の言ふに忍びざる所なり。
 抑も注釈4武弁の士、此の注釈5沛離流の間に於て、能く其の注釈6股肱の力を竭くし、身注釈7鋒鏑にして悔いざる者、罪を朝憲に獲るは、固より免れざる所なりと雖も、其の事ふる所に於ては、則ち未だ始より注釈8二無しと為すを失はず。乃ち其の情亦哀れむに足る者あり。皇上注釈9覆載の仁、其の頑を愍み、其の罰を緩くす。其れ此を以てに非ずや。
 注釈10城邑再び賜はり、君臣倶に帰する所を得たり。是に於て刀隊長大川正則、来り請うて曰く、始め吾が同隊の士、三十有九人、倶に生死を同じくして、以て君恩にいんと誓ふ。而して篠原徳隣、亀倉貞勝、長島義定、三間正直、能勢政常、長島正吉、井上正寮此の七子は、皆衆に先だって戦没す。今我が徒注釈11向日の心既に上聞を得、注釈12吠堯の罪乃ち寛宥を蒙り、往々(ゆくゆく)将に皇化の優渥に浴せんとす。而して七子は則ち与かるを得ず。
 夫れ馬革に屍を裹()み、原野に骸を曝すは、固より武人の甘んずる所なり。七子の者又何ぞ憾みん。然れども我が徒に在っては、則ち悲慕に堪へざる者あり。因って相共に商議し、碣を悠久山前に建てて、以てこれを永世に伝へんと欲す。子其れ疾を力めて焉れに銘ぜよと。言ひ畢りて涙下る。
 余も亦倶に君の禄を食みし者なり。行伍の労を同じうせずと雖も、情は則ち異なる無きなり。注釈13の任、奚んぞ注釈14衰憊を以て辞せん。乃ち之が銘を為る。曰く、生者必ず死す。壮士曷んぞ傷まん。注釈15辞を注釈16勒し、其の名亡びず。
 小林虎撰並びに書。小山元題額。明治二年歳己巳に在り。秋七月五日建つ。

注釈

44.諸葛武候の画像の賛1-2 44.諸葛武候の画像の賛3-6 45.彼ト加刺得斯画像の賛
46.戊辰刀隊戦没諸士の碣銘1-10 46.戊辰刀隊戦没諸士の碣銘11-16
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