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稿本略註国訳求志洞遺稿 文 乾
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稿本略註国訳求志洞遺稿 詩 坤全
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小林虎三郎
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47.古騎法教師渡辺氏門下の戦死諸士の碣銘/48.省
録の後序
四七、古騎法教師渡辺氏門下の戦死諸士の碣銘
術芸既に同じく、好尚又一にして、先づ覚る所の師、之を弟に伝ふるを楽しみ、未だ能はざる所の弟、之を師に受くるを悦ぶ。是れ則ち師の弟と、其の情悪んぞ厚からざるを得んや。乃ち尋常の一死一生の際に在りと雖も、恩慕の心、自ら已む能はず。況んや夫の患難に遭遇し、身弾丸に
れ、骸を
寒烟幽草の中に委して収むるを得ざる者をや。其の悲悼すべきと為す。亦何如ぞや。
故従四位
牧野常信公、閣老たりし時、松山藩の十河某の、源氏(
)古騎法を伝ふるを聞き、其の臣数人をして就いて学ばしむ。渡辺久高其の技最も精しきを以て、
でられて教職に任じ、一藩の子弟を訓導す。及門の士、蓋し数十人、業甚だ勤め、情甚だ厚し。春野秋郊、師帥ゐ弟従ひ、鞭を挙げて叱咤し、
驪驄蹄軽く、縦横に
馳騁し、一瞬に千里、皆以て壮快と為さざる靡し。而して一旦(且)戊辰の変に、戦死者十六人なり。久高乃ち今昔を俯仰し、
憾愴禁ぜず。栖吉村
普済寺は、公の祖
宝性公の墓の在る所なるを以ての故に、為に石を此に建てて以て、不朽に図らんと欲し、虎をして之に銘ぜしむ。虎辞すれども獲ず。乃ち之が銘を為る。其の姓名の若きは、則ち勒して碣陰に在り。
銘に曰く、
危きを見て命を授く。衆の栄とする所。死者固より以て憾み無かるべし。生者其れ亦以て情を慰むるに足らんか。
明治三年歳庚午に在り。夏、五月。
四八、
省
録の後序
先師象山先生、天資
卓犖にして、聡明絶倫なり。年未だ壮ならざるに、経学文章を以て、
鬱然として一家を為し、名
遠邇に馳す。既にして
満清鴉片の変に感ずるあり。乃ち意を籌海に専らにし、遂に憤を発して洋籍を読む。首めに其の銃
戦陣の術を究め、又未だ数年ならざるに、能く頗る其の要に通ずるを得。則ち居を都下に移し、徒を聚めて教授す。天下の籌海を講じ、洋兵を習はんと欲する者、門に及ばざる莫し。是の時に当り、世儒率ね皆旧に溺れ新を厭ひ、固陋自ら守る。乃ち先生の為す所を観て、相倶に其の
夏を以て、夷に変ずるを誹る。而して先生顧みざるなり。
居ること幾ばくも亡くして、
癸丑花
の事忽ちに起り、先生の言是に於てか験あり。衆乃ち益々其の特識に服す。向の誹る者も、亦或いは稍々醍むる所あり。則ち先生偶々
時諱に触れ、獄に繋がるること
七閲月にして、初めて放還せらるるも、猶且つ
幽閉せらる。
後数年、赦を獲て出づれば、則ち攘夷の説方に熾なり。先生乃ち以て理勢を詳らかにせざるの甚しと為し、其の非を痛斥し、其の言の己を害する者多きを悪む。遂に以て
殃ひに及ぶ。今や王政維新、国論初めて定まる、横議の徒、殆ど蹤を天下に絶てば、則ち先生の
墓木、漸く将に拱せんとす。
注釈
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47.古騎法教師渡辺氏門下の戦死諸士の碣銘
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48.省
録の後序1-5
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48.省
録の後序6-12
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