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51.東嶽伊藤君の墓表/52.小学国史の序
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 五一、注釈1東嶽伊藤君の墓表
 身材小なりと雖も、注釈2儀観陋ならず。天資質直、気和ぎ色愉しむ。学は博きを努めず、志実践に在り。君に事へて能く敬に、親に事へて能く孝に、人に接して礼を失はず、注釈3取予必ず義を以てす。身に暴慢の行無く、口に注釈4鄙倍の辞を絶ち、声色情にれず、酒を好んで乱に及ばず、俗に忤(さから)うて以て自ら異とするを悪くむと雖も、亦注釈5苟合して以て容れらるるを求むるを恥づ。鳴呼、是れ君が状貌性行の概にして、以て其の墓に表すべきなり。
 君、諱は弘貞、字は幹蔵、東嶽・竹宇は皆其の号なり。本姓は深津氏、父、諱は元儔、母は山本氏。東岸伊藤先生、注釈6褐を本藩に釈き、亦山本氏を娶る。胤無し。因って君を養って嗣と為す。東岸先生、諱は弘充、東所先生の第三子にして、仁斎先生の孫なり。
 君、既に其の養ふ所と為り、家学を専攻し、注釈7まず。注釈8弱冠の後、笈を負ひて、注釈9京師に遊び、注釈10東峰先生に学ぶ。東岸先生の弟なり。業已に就り、注釈11江門邸学の教官と為り、注釈12世子の侍読を兼ぬ。注釈13嘉永己酉、藩学の都講と為り、俸五口を賜ふ。注釈14庚戌(戍)んでられて儒員に列す。注釈15安政丙辰家督。注釈16己未召されて江門邸に抵り、復世子の侍読と為る。注釈17文久辛酉、任満ちて帰り、藩学の都講たること故の如し。班を准監察に進む。注釈18慶応丁卯、官を免ぜらる。明治戊辰の夏、藩兵王師を拒み、戦敗れて城陥る。注釈19藩主会津に逃れ、尋いで仙台に奔る。君前後追随して離れず。既にして藩主帰順す。乃ち帰るを獲たり。注釈20己巳の春、疫を患ひて劇甚なり。遂に起たず。実に正月十九日なり。春秋五十。城北の栄涼寺の、東岸先生の墓に注釈21す。配亀山氏、男無し。始め祢津某の子弘文を養って嗣と為す。戊辰の秋陣亡す。因って又岩井某の子弘毅を乞うて家を承(う)けしむ。弘毅既に注釈22襄(袞)事し、状を具して、墓上の文を請ふ。余乃ち注釈23論次して以て之に注釈24(卑)へ、石に注釈25勒せしむと云ふ。
 小林 虎


 五二、注釈1小学国史の序
 我が邦の史、上下二千余年の事を挙げて、之を僅々数巻の内に約し、以て初学の注釈2階梯と為すべき者、世固より多く之れ有り。然れども率ね漢文に係り、注釈3童蒙に在っては、猶解し難きを憂ふ。其の或いは国文に係る者も、又略に過ぎずんば、則ち注釈4蕪に失す。志を教育に有する者、常に以て憾みと為す。
 余因って自ら注釈5揣らず、注釈6痾を養ふの余、諸史を閲し、其の要を採り、悉く国文を以て注釈7綴輯す。上は神代に起り、下は近世に(いた)るまで、総て若干巻。名づけて小学国史と曰ひ、注釈8梓にんで以て世に公けにす。初学の徒、得て之を読まば、庶幾くは、其れ稍々解し難きの憂を免かれ、古今の隆替沿革に於て、亦以て其の概略を領するに足らんか。
 但々余、学識浅薄、又注釈9架に乏し。考ふる所博からず、謬誤応に多かるべし。大方の君子、若し是正を賜はらば、則ち幸甚なり。

注釈

51.東嶽伊藤君の墓表1-10 51.東嶽伊藤君の墓表11-20 51.東嶽伊藤君の墓表21-25
52.小学国史の序1-9
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