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6.小林寒翠翁略伝
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佐藤一斎(いつさい)・斎藤拙堂(せつだう)・勝安房(あは)等と交り、往来注釈17徴逐し、以て学術文章を注釈18煉す。簡堂嘗て翁の文を称して曰はく、「其の精練、王陽明に似たり。」と。象山亦評して曰はく、「有用の文、有為の才。」と。中ん就く著す所の興学私議の若きは、最も焉を称讃す。其の他諸子の為に賞嘆せらるるも、惜しむらくは、往々散(敢)逸する者あり。時に象山の門人中注釈19雋才多し。而して長州藩の注釈20吉田義卿と翁と二人、称して両虎と為す。蓋し、義卿は寅二郎と称し、翁は虎三郎と称するを以てなり。象山常に曰く、「義卿の胆略、炳文の学識、皆稀世の才なり。但、事を天下に為す者は吉田子なるべく、我が子を依託して教育せしむべき者は独り小林子のみ。」と。
 安政元年甲寅、注釈21米国の使臣再び来り、幕府と約を結び、将に下田・函館の二港を開かんとす。象山、下田を開くの議を論破し、専ら横浜を開くの議を唱道す。翁、義卿と倶に象山の説を翼賛し、百方尽力し、幕府の老中に建言す。時に阿部伊勢守正弘老中の首坐たり。主侯牧野備前守忠雅之に次ぐ。其の余の三名、皆天下の大政に与(あづか)る。而して阿部正弘専ら注釈22威福を擅(ほしいまま)にす。議遂に容れられず。且、書生にして大政を議する以て、遂に之を罪す。注釈23爾時、象山著す所の省録(せいけんろく)に云ふ。「門人長岡の小林虎をして其の主侯に上書して、大計を開陳せしめ、又、之をして阿部閣老の注釈24親幸する所に見(まみ)えて、為に其の利害を論ぜしめ、時に因って規諫することを得て、挽回する所あらんと欲す。並びに皆行はれず。小林生此れを以て主侯の譴(とがめ)を獲、遂に辞して国に帰る。」と。翁将に帰らんとす。象山注釈25七律一篇を贈る。云はく、「久しく知る天道の推移し易きを。家国の興衰将に誰にか問はんとする。伯紀(はくき)の遠謀は人の惜しむ所。椒山(せうざん)の抗疎は世徒らに悲しむ。一方敵を却くるに未だ計を知らず。四顧雄を称す何ぞ期する有らん。揆(はか)らずも又今日の別に遭ふ。傷心万事新詞に付す。」と。且(旦)注釈26贈序あり。云はく、「宇宙の間、実理二無し。斯の理の在る所、天地も此れに異(たが)ふ能はず、鬼神も此れに異ふ能はず。近来西洋人発明する所の許多の学術、要は皆実理にして、(ただ)以て吾が聖学に資するに足るのみ。而して世の儒者は類(おほむ)ね皆凡人庸人にして、窮理を知らず、視て別物と為し、啻に好まざるのみならず、動もすれば之をに比す。宜なるかな、彼(かれ)の知る所之(これ)を知る莫く、彼の能くする所之を能くする莫きや。蒙蔽深固、永く孩童の見を守る。此の輩、惟々哀憐す可きのみ。以て商較を為すに足らず。大夫当に大塊有る所の学を集め、以て大塊無き所の言を立つべし。小林炳文は吾に従って游び、吾が言を説(よろこ)ぶ者なり。

注釈

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