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6.小林寒翠翁略伝
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安政元年罪を得て国に退いてより、已に十八年を過ぐ。四海寧静、百事緒に就く以て、心大いに喜ぶ。遂に高知藩に遊ぶ。蓋し弟雄七郎聘せられて、洋学教師為るを以てなり。明年東京に帰る。爾来郷に還らず。後、居を向島に卜す。十年七月、伊香保に抵り、温泉に浴す。居ること数旬、俄然として熱を発し、頗る劇症為(た)り。八月二十四日、舁(よ)されて寓に帰る。未だ注釈34一点鐘ならざるに、注釈35溘焉として逝く。享(亨)年五十歳。
 翁多病なるを以て終身娶らず。故に子無し。翁、兄二人あり、夭す。翁三男を以て家を継ぐ。翁の次は貞四郎、則ち家を継ぐ。亡す。次は女子、幸と曰ふ。注釈36小金井氏に嫁ぐ。次は女子、富と曰ふ。吉田氏に嫁ぐ。亡す。次は男子、大三と曰ふ。出でて横田氏を継ぐ。亡す。次は男子、寛六郎と曰ふ。亡す。次は男子、雄七郎と曰ふ。亡す。
 翁著す所、四書章句集註題疏・小学国史・興学私議等あり。又、大参藩事為りし時、民間禁令を著す。蓋し、本邦古より律令を公布する者無し。良民之を知らず。動もすれば、重刑を犯す者あり。翁常に之を憂ふ。故に唐宋以下歴代の刑律を考究し、之を著して以て管内に頒布す。其の他、察地小言・泰西兵餉一斑・野戦要務通則等、斯の種、和蘭の兵書を翻訳せし者あり。これを藩士に示す。当時長岡の兵制改革、翁の指示に由って益を得たる者多しと云ふ。
今茲、注釈37癸巳の八月は、翁の十七回年の忌辰に会す。不肖兄弟夙に注釈38鞠愛を受く。曾て其の志の未だ世に明かならざるを慨し、此の編を校訂して印行す。勝海舟伯、北沢正誠君、翁と同門なるを以ての故に題詞及び序を乞うて、首に置く。三間正弘君は翁の郷人為り。亦、序を請うて梓に付す。

    明治二十六年八月

                 外甥 小金井権三郎 謹識

   

注釈

34-38
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